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横浜地方裁判所 平成元年(ワ)581号 判決 1992年6月04日

原告

中野好之

右訴訟代理人弁護士

河原崎弘

被告

仙台市

右代表者市長

石井亨

右訴訟代理人弁護士

長谷川英雄

岡崎貞悦

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一第一事件について

1  被告は、原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告に対し、別紙動産目録記載の動産を引き渡せ。

二第二事件について

1  被告は、仙台市大町一丁目二番二及び三の土地所在の家屋前に設置してある「晩翠草堂」と表示した案内板、右家屋付近の道路に設置してある「晩翠通」と表示した標識板及び右家屋付近のバス停留所に設置してある「晩翠草堂前」の標識から、「晩翠」の表示をそれぞれ抹消せよ。

2  被告は、亡土井晩翠の祭祀を行ってはならない。

3  被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成元年三月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一第一事件について

原告が、昭和五八年に別件の裁判上の和解に基づいて原告ほか一名所有の土地を被告に売り渡した際、右売買代金につき租税特別措置法三三条の四所定の収用交換等の場合の譲渡所得等の特別控除(以下「優遇措置」という。)の適用を受けることができず、結果的に更正処分を受けたことについて、右優遇処置の適用を受けることができなかったのは、被告の観光課長である堀籠迪男(以下「堀籠」という。)の不法行為によるものであるとして、主位的には国家賠償法一条一項に、予備的には民法七一五条一項に基づき、右更正処分により原告が納付した租税等九四〇万円及び原告が蒙った精神的損害一〇六〇万円の賠償を請求するとともに、右和解により原告が被告に引き渡した別紙動産目録記載の動産(以下「本件遺品」という。)につき、所有権に基づいてその返還を請求した事案である。

二第二事件について

原告が土井晩翠(本名「土井林吉」、以下「晩翠」という。)の相続人としての地位に基づき、被告による「晩翠」の名称使用は原告又は晩翠のプライバシーの権利等の人格権を侵害し、かつ、原告又は晩翠のパブリシティの権利を侵害するものであるとして右侵害行為の差止を求めるとともに、被告市長及び堀籠らは過去に晩翠の祭祀を行って原告の祭祀権を侵害してきたとして、右侵害行為の予防を求め、併せて右祭祀権侵害により原告が被った精神的損害一〇〇万円の賠償を、主位的には国家賠償法一条一項に、予備的には民法四四条一項及び同法七一五条一項に基づいて請求した事案である。

三争いのない事実等

1  当事者等

晩翠は、昭和二七年一〇月一九日に死亡した著名な詩人である。原告は晩翠の孫であり、晩翠の祭祀承継者でもある。

堀籠は被告の職員であり、島野武は過去に被告市長であった者であり、石井亨は現在の被告市長である。

2  裁判上の和解の成立に至る経緯等

晩翠は、もと仙台市大町一丁目二番二及び三の土地を所有していたが、第二次大戦中、右土地上にあった家屋を戦災にあって焼失したため、戦後、当時の仙台市長らが中心となって晩翠会を結成し、晩翠の物心ともに不遇な晩年を慰めるため、晩翠の教え子その他から基金を募り、焼失した家屋の跡に新たに建物(以下「本件建物」という。)を建築した。本件建物に移り住んだ晩翠は、自らに寄せられた好意に感謝し、昭和二五年に仙台市大町一丁目二番三の土地を被告に贈与したほか、晩翠会会長との間で同番二の土地(以下「本件土地」という。)を本件建物の敷地として無償で貸与する旨の契約を締結した。その後、晩翠会は本件建物を被告に贈与したため、右使用貸借契約は被告と晩翠の間に継承された(<書証番号略>)。

晩翠は、昭和二七年一〇月一九日、本件建物において死亡し、同人の孫である原告、亀山利子及び土井亨が相続によりその地位を承継したが、亨は昭和四二年に死亡したため、原告、利子、中野和夫及び中野正夫が相続により亨の地位を承継した。しかし、右和夫と正夫は昭和四九年、本件土地について持分放棄をしたため、原告と利子が本件土地を各二分の一の割合で共有することとなった(<書証番号略>)。

原告は、利子らと共に、昭和四六年、被告に対して本件土地の所有権に基づき本件建物の収去及び本件土地の一部の明渡しを求める訴えを仙台地方裁判所に提起した(以下「第一次明渡訴訟」という。)。右請求は一審では認容されたものの、二審において被告に占有権限(使用賃借契約の成立)が認められて棄却された。原告と利子は、昭和五六年一一月二日、被告に対し再度本件土地の所有権に基づいて本件建物収去土地明渡し等の訴えを提起した(以下「第二次明渡訴訟」という。)が、昭和五八年一〇月一三日、原告及び利子が被告に対し本件土地を代金二億八五〇七万五〇〇〇円で売り渡すこと等を内容とする裁判上の和解が成立した(以下「本件和解」という。)。原告及び利子は、右和解に基づき、翌五九年一月六日、被告との間で、原告らは被告に対し同月一七日までに本件土地を引き渡し、被告は原告らに対し右引渡しと引換えに右代金を支払うこと等を内容とする「土地売渡し等に関する契約書」(<書証番号略>)を作成した(<書証番号略>、証人堀籠迪男、原告本人)。

3  本件更正処分等

原告は、昭和五九年分所得税の確定申告に当たり、特例適用条文欄に「措法33の4①」と記載して申告をしたが、鎌倉税務署長は租税特別措置法の適用はないとして昭和六〇年六月二九日付で追加して納付すべき税額を七二五万円とする更正処分及び過少申告加算税三六万二五〇〇円の賦課決定処分をした(以下「本件更正処分」という。)。そこで、原告は右処分を不服として昭和六〇年八月二九日異議申立てをしたが、翌六一年二月二五日棄却され、次いで国税不服審判所に対し、同年三月二五日審査請求をしたが、これも翌六二年三月三一日棄却及び却下された。さらに、原告は横浜地方裁判所に対し更正処分等取消請求の訴え(当裁判所昭和六二年行ウ第一〇号)を提起したが、昭和六三年一一月九日右請求を棄却され、次いで東京高等裁判所に控訴した(同裁判所昭和六三年行コ第七三号)が、右控訴も平成二年一月三〇日棄却された(<書証番号略>)。

4  本件標識の設置等

被告は本件建物の前に「晩翠草堂」と表示した案内板を設置しているほか、本件建物付近の公衆用道路に「晩翠通」と表示した標識板を、本件建物付近のバス停留所に「晩翠草堂前」と表示した標識を、それぞれ設置している。

四争点

1  第一事件について

(一) 原告が本件更正処分に基づいて受けた財産的損害が堀籠の不法行為によるものということができるか。

また、堀籠の信義に反する右不法行為によって原告が精神的損害を被ったといえるか。

原告は、「本件和解に基づく本件土地売買は、被告が簡便な内部的手続をとることにより容易に優遇措置の適用を受けることができたこともあって、堀籠は本件和解の際、原告に対して優遇措置の適用を受けられるようにする旨約束をしたにもかかわらず、そのために必要な実体的・手続的措置をとらなかったばかりでなく、仙台中税務署と共謀のうえ、優遇措置の適用をことさらに排除する目的で無意味な買取証明書を発行して優遇措置の適用を不可能にした。」旨主張する。

これに対して被告は、本件和解に基づく本件土地売買は、元来優遇措置の適用を受けるべき要件を欠くものであり、また、堀籠が原告に対して優遇措置が受けられるようにする旨約束した事実も、堀籠が税務署職員と共謀して優遇措置の適用を妨害した事実もない旨主張する。

(二) 被告は本件和解に基づき本件遺品の所有権を取得したといえるか。

被告は、本件和解により本件遺品の所有権を取得した旨主張するが、原告は、本件和解中の「原告らは被告に本件遺品を交付する」旨の条項は、単に被告に対して本件遺品を寄託する趣旨にすぎない旨反論する。

2  第二事件について

(一) 被告が「晩翠草堂」「晩翠通」「晩翠草堂前」の表示のある標識等を設置したことが、晩翠や原告のプライバシーの権利等の人格権又はパブリシティの権利を侵害するといえるか。

被告は、「晩翠」は故土井林吉の雅号であって私生活に属するものではないから、「晩翠」の名称を使用するだけでは晩翠や原告のプライバシーの権利の侵害には当たらず、また被告の行った標識等の設置は晩翠や原告のパブリシティの権利を侵害する行為ではないと主張する。

(二) 被告市長、堀籠らが過去に原告の祭祀権を侵害したことがあるか。また、将来被告が原告の祭祀権を侵害するおそれがあるといえるか。

原告は、①被告市長長島野武及び堀籠は晩翠顕彰会の名において昭和五一年ころ原告に無断で晩翠の位牌を作成し、本件建物内部に陳列した、②被告市長長島野武及び堀籠は昭和五九年、原告に無断で晩翠の三三回忌を実施した、③平成三年三月三〇日ころ、原告が晩翠の墓を京都市内に移転しようとした際、被告市長石井亨は右改葬を阻止すべく改葬先の寺宛に手紙を出して墓地の場所の選定に干渉したとして、右のとおり被告の職員が過去に原告の祭祀権を侵害してきた事実がある以上、被告が将来的に原告の祭祀権を侵害する恐れが存する旨主張する。他方、被告は、右行為はいずれも土井晩翠顕彰会(以下「晩翠顕彰会」という。)によってなされたものであって、被告とは無関係であるとか、三三回忌の内容は単なる晩翠の顕彰事業であって祭祀に該当しないなどと主張する。これに対し原告は、晩翠顕彰会は被告の支配下にある団体であるから、晩翠顕彰会の行為は被告の行為と同視することができ、晩翠顕彰会名下に行われた被告職員の行為は公務の執行としての性質を失わないものであると反論する。

また、被告は、原告の右①主張の位牌の無断作成の問題は、本件和解により原告の被告に対する慰謝料支払請求権の放棄を含めて一切解決された旨主張する。

第三争点に対する判断

一争点1(一)について

1  証拠(<書証番号略>、証人堀籠迪男、原告本人)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 第二次明渡訴訟は、昭和五七年一二月六日以降和解期日が続行され、同五八年三月九日の和解期日において当事者間に本件和解の基本的内容とほぼ同一の合意が成立したが、その際原告は被告に対し本件土地売買につき優遇措置の適用があることを前提に裁判所の鑑定価格で売り渡すけれども、仮に右適用がない場合には右売買価格を上積みしてほしい旨提示した。

(二) そして、原告は、本件土地売買につき優遇措置の適用が受けられるか否かを自ら調査することとし、右和解期日の二週間後ころ、仙台中税務署に赴いて、本件土地を被告に売却した場合、優遇措置の適用が受けられるか否かに関する税務相談をした。右相談の結果、原告は、買取申出証明書と買取証明書という二通の書類を用意しさえすれば本件和解に基づく本件土地売買について当然に優遇措置の適用が受けられるものと速断するにいたり、以後の被告との交渉においては右二通の書類を具備しさえすれば当然に優遇措置の適用があるとの前提で話し合いを進めるようになった。

(三) 右和解交渉の過程において、原告が社団法人仙台ユネスコ協会に賃貸していた本件土地の一部についても、本件土地のうちの被告の借受部分と同一の解決を図ることになったのに伴って右仙台ユネスコ協会が右土地上に所有していた仙台ユネスコ会館を被告に寄附することになったところ、右受納手続と本件和解についての市議会の承認手続に日時を要したため、ようやく昭和五八年一〇月一三日にいたり本件和解が成立した。その際、原告は優遇措置の適用の有無をめぐる条項の挿入方を希望したが、被告が難色を示し、結局挿入されなかった。

(四) 他方、堀籠は、本件和解及びその後の和解内容の履行問題に関する原告との交渉過程において、原告が買取申出証明書と買取証明書を用意するよう要求した際、「原告の希望する書類は原告の要求どおり用意する。」旨述べ、事実原告の要求に応じて、昭和五九年一月二四日に本件土地の売買を証明する書類を発行して原告に交付した。

2 右認定の事実によると、堀籠は原告に対し、同人が優遇措置の適用を前提とする所得税申告手続に当たって必要と考えていた買取証明書等の交付方を約束したことは明らかであるが、堀籠が原告に対し本件土地売買につき優遇措置の適用を受けられるような実体的手続をとることを約束した形跡は窺えない。

したがって、右のような約束がなされた事実が認められない以上、堀籠に優遇措置適用のための実体的措置をとるべき行為義務が発生したとは認められず、堀籠の右実体的措置義務違反に関する原告の主張は理由がない。

3 また、堀籠が優遇措置の適用を妨害する目的で故意に無効な証明書を発行したり、税務署員と通謀したという事実を認めるに足りる的確な証拠はない。さらに、証拠(<書証番号略>)によれば、本件土地売買は、これに先立って、被告において法定の事業認定を受けたり、都市計画事業の認可若しくは承認を受けたりするなどの実体的要件を具備していなかったことから、本件和解成立時には既に優遇措置の適用の余地がないことが確定していたものと認められるから、その後の原告との交渉過程における堀籠の行為と、本件更正処分の間には相当因果関係がないというべきである。

4 結局、本件更正処分に基づく財産的損害及び堀籠の信義に反する不法行為を原因とする精神的損害に関する原告の請求はいずれも理由がない。

二争点1(二)について

原告は、本件遺品の所有権に基づいてその返還を求めているところ、被告も本件和解成立時に原告が本件遺品を所有していたことは明らかに争わない。

そして、証拠(<書証番号略>、原告本人)によれば、(イ) 原告及び利子は被告との間で、本件和解において、原告らは被告に対し晩翠の遺品(但し、位牌、仏壇、掛軸二点を除く)を交付すること及び右遺品の内訳は別途原告らとの間で協議して決定することを合意したこと、(ロ) 右合意に基づいて原告らと被告との間で作成された前記「土地売渡し等に関する契約書」において、右遺品が別紙動産目録記載のとおり(但し、英一の写真額は一点)決定されたこと、(ハ) 堀籠は昭和五八年一二月一五日に原告から別紙動産目録記載のとおりの右遺品の引渡しを受けたこと、(ニ) 原告が被告市長宛に作成した昭和六一年一〇月二一日付の書簡には「本件遺品を寄贈した」旨の記載があることが認められる。

以上の事実を総合すれば、被告は本件和解により原告から遺品の贈与を受けたものと解するのが相当であるから、本件遺品の返還に関する原告の請求は理由がない。(なお、原告は右贈与が被告の詐欺に基づくものである旨主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。)

三争点2(一)について

1  まず、晩翠又は原告のプライバシーの権利等の人格権侵害の有無について判断する。

(一) 前記第二の三2の事実及び証拠(<書証番号略>、証人堀籠迪男)によれば、(イ) 「晩翠」とは亡土井林吉の雅号であること、(ロ) 本件建物は晩翠が生存中から晩翠草堂又は晩翠学堂と呼ばれていたこと、(ハ) 本件建物の前に設けられた案内板には、晩翠の業績と晩翠草堂の由来を説明する文章が記載されていること、(ニ) 晩翠通という道路名称は、被告が昭和五八年に仙台市内の一五本の道路に公募等によって愛称を付けた際、右道路が本件建物に面していて、晩翠にゆかりが深いとの理由で命名されたものであることが認められる。

(二)  右認定の事実によれば、晩翠は本件建物が晩翠草堂と呼称されることを少なくとも暗黙のうちには了承していたということができるから、晩翠本人の承諾がある以上、本件建物を晩翠草堂と呼称することは晩翠はもちろん、晩翠の相続人である原告との関係でもそのプライバシーの権利等の人格権を侵害するものではないというべきである。そして、本件建物を「晩翠草堂」と呼称することが晩翠及び原告の人格権を侵害しないのであるから、右建物付近に案内板を建てて「晩翠草堂」である旨表示をし、晩翠の業績を説明すること及び本件建物付近にあるバス停留所に「晩翠草堂前」という名称を付け、その旨の標識を設置することも当然に許容されるということができる。

また、一般に道路等の名称として歴史的に著名な人物の遺徳や業績を偲ぶという趣旨の下に右人物の名が用いられることがあるところ、本件「晩翠通」という道路名称も右と同一の趣旨で被告によって愛称として採用されたものである。

したがって、被告が被告市内の道路に「晩翠通」という名称を付け、右名称を表示する標識板を設置したことも、晩翠の評価、名声を高めこそすれ、それを毀損するものではないから、晩翠はもちろん、原告のプライバシーの権利等の人格権を侵害するものではないというべきである。

(三)  なお、原告は右人格権侵害に関連して、本件土地及び本件更正処分をめぐる一連の紛争で被告に対して悪感情を抱くようになったので、被告によって晩翠という名称が使用されること自体が耐えられない旨主張するが、右のような事由は、単に原告の主観的な感情にすぎず、何ら法的に保護されるべき利益には該当しないから、原告の右主張はそれ自体失当である。

2  次に晩翠及び原告のパブリシティの権利の侵害の有無について判断する。

パブリシティの権利とは、歌手、タレント等の芸能人が、その氏名、肖像から生ずる顧客吸引力のもつ経済的利益ないし価値に対して有する排他的財産権であると解される。このような権利が認められる根拠は、芸能人の特殊性、すなわち、大衆に広くその氏名、肖像等を知らしめて人気を博することにより、氏名、肖像自体に顧客吸引力を持たせ、それをコントロールすることによって経済的利益を得るという点にあると考えられる。

しかるに、詩人は、一般に詩作や外国の文学作品を翻訳するといった創作的活動に従事し、その結果生み出された芸術作品について、社会的評価や名声を得、また印税等として収入を得る反面、氏名や肖像の持つ顧客吸引力そのものをコントロールすることによって経済的利益を得ることを目的に活動するものではなく、また、その氏名や肖像が直ちに顧客吸引力を有するわけではない。このことは、著名な詩人である晩翠についても同様であり、本件全証拠によっても、晩翠が生前自己の氏名や肖像の持つ顧客吸引力により経済的利益を得、または得ようとしていたとは認めることはできないから、晩翠の氏名、肖像等についてパブリシティの権利が発生するとは到底認められない。

しかも、本件で問題とされているのは、いずれも案内板やバス停標識の設置といった行為であって、このような行為は氏名を用いられた者の知名度を高めこそすれ、その顧客吸引力を損なうことはなく、また不正なキャラクター商品の販売等の場合と異なり、名称使用によって無断使用者の側に不当な利益が生じる反面、本来の権利者に損害が生じるという問題も発生しないものである。

したがって、いずれの点からしても、パブリシティの権利の侵害に関する原告の主張は理由がない。

四争点2(二)について

1  位牌の無断作成について

(一) 証拠(<書証番号略>、証人堀籠迪男、原告本人)によれば、晩翠顕彰会は、昭和五二年ころ、被告に無断で晩翠の位牌(以下「本件位牌」という。)を作成し、本件建物内部に陳列したことが認められる。

(二) ところで、原告は、晩翠顕彰会は被告の支配下にある団体であるから、同会の行為は被告の行為と同視し得るとか、被告市長島野武及び堀籠が晩翠顕彰会の名においてした行為は、被告の職員が公権力の行使に当たってしたものと評価できる旨主張するので、この点について判断する。

証拠(<書証番号略)によれば、(イ) 晩翠顕彰会は晩翠会を母体として昭和四九年に設立された団体で、その規約には、①本会の目的は晩翠の輝かしい業績等の顕彰と仙台市の文化向上に寄与することとする、②役員は仙台市長たる会長、会長の委嘱する委員の互選により選出される幹事及び監事並びに会長の委嘱による顧問とする、③事務所を仙台市役所内に置く、④事務局局員には仙台市企画局文化振興課(改正前は市民局市民生活部市民生活課や経済局商工部観光課等)の職員が就任し、会長の命を受け事務を処理する等の定めがあること、(ロ) 同会に対しては被告から平成元年度には一七〇万円の補助金が支出されているところ、右補助金は同会の収入の八〇パーセント以上を占めていること、(ハ) 同会から外部に対して発送される手紙には、「仙台市役所市民局市民生活課」などと印刷された被告の公用の封筒が用いられているばかりでなく、同会会長として被告市長が発送する文書にも、晩翠顕彰会会長名下に、括弧書きで「仙台市長」という肩書が挿入されていること、(ニ)被告は第二次明渡訴訟の答弁書において、被告自身が本件位牌を本件建物内に安置していることを自認していることが認められる。

右認定の事実によれば、晩翠顕彰会は被告の職員が職員としての地位に基づいて役員・事務局員に就任する旨定められた団体であり、その事務は被告市役所内において、被告の職員により、文化振興課等の職務の一部分として、被告の公務と区別されることなく処理されているということができるから、被告の職員が晩翠顕彰会名義で行った行為はこれを被告の公務遂行に関連して行ったものと評価すべきである。

そして、前掲各証拠によれば、晩翠顕彰会規約には会長は会を代表し会務を総理する定めがあり、しかも事務局員は会長の命を受けて事務を処理するものとされているのであるから、同会名義で行われた行為は最終的には会長たる被告市長の職務上の権限と責任において行われたものと解すべきである。

(三) してみると、右(一)認定の位牌の作成は、被告市長によりその職務上行われた行為と解すべきところ、故人の位牌を作成することは遺族の専権に属すべき事柄であり、遺族に無断で位牌を作成することは、遺族の祭祀権を侵害する行為に該当するというべきである。

(四) しかしながら、前記認定のとおり、本件位牌の無断作成が行われたのは昭和五二年ころであるが、証拠(<書証番号略>、原告本人)によれば、(イ) 原告はその後提起した第二次明渡訴訟において、右位牌の無断作成を理由として被告に対し六〇〇万円の慰謝料の支払請求をしていたこと、(ロ) 本件和解では右の点に考慮して、「被告は、原告らの土井晩翠に関する祭祀権については、最大の尊重をする。」「原告らはその余の請求を放棄する。」旨の和解条項が加えられていること、(ハ)右和解において、本件位牌の廃棄は原被告の信頼関係に委ねられたところ、堀籠は右廃棄を行う旨約した上、現にこれを本件建物内から撤去したことが認められる。

したがって、本件位牌の無断作成に関する問題については、これに伴う原告の被告に対する慰謝料支払請求権の放棄を含めて本件和解で既に一切の問題が解決されたものというべきであり、この侵害行為の存在から、被告が将来的に原告の祭祀権を侵害するおそれが現に存在すると認めることはできない。

したがって、本件位牌の作成に関する原告の主張には理由がない。

2  三三回忌の実施について

証拠(<書証番号略>、証人堀籠迪男、原告本人)によれば、晩翠顕彰会は、昭和五九年一〇月一九日ころ、晩翠の三三回忌を記念する行事として小説家による記念講演及び「土井晩翠―栄光とその生涯」と題する書籍の記念出版を行ったこと及び昭和五九年一〇月一九日は仏式でいう三三回忌に相当する年であり、原告はそのころ仙台市内で晩翠の回忌法要を行ったことが認められる。

右認定の事実によれば、昭和五九年一〇月一九日に晩翠顕彰会によって行われた行事は、仏式の回忌法要を営む時期に行われたものの、その内容は単なる記念行事の域を出ないものであり、原告の祭祀権を侵害するような内容のものではないということができる。

したがって、被告による三三回忌の実施が原告の祭祀権の侵害に当たる旨の原告の主張は理由がない。

3  墓の移転問題について

証拠(<書証番号略>、原告本人)によれば、

(イ) 被告市長石井亨は、平成元年三月三〇日、晩翠顕彰会会長名義で京都市内の建仁寺宛に書簡を発送したこと、(ロ) 右書簡の内容は「原告は晩翠と八枝夫人の墓を仙台市内の大林寺から建仁寺に改葬する手続に着手するそうであるが、晩翠顕彰会は晩翠の墓が今後とも大林寺に存在することを希望するので、配慮、尽力されたい」旨のものであること、(ハ) 原告は当時実際に建仁寺に晩翠の墓を移転することを計画していたが、被告から右のような要請を受けたことはなく、本件書簡は突然晩翠顕彰会から建仁寺に送付されたため、建仁寺は右書簡を原告に回送し、それによって原告は本件書簡の発送の事実を知ったこと、(ニ) 原告が本件書簡について被告の観光課長に釈明を求めた際、同人は今後は原告との接触を拒否する旨の回答をしたことが認められる。

ところで、晩翠の墓の設置場所については、本来原告ら遺族の専権に属することであり、被告らがこれに干渉すべき筋合いでないことはいうまでもない。しかし、右書簡は、晩翠顕彰会が建仁寺に対し、晩翠の墓が移転されることなく、従前通り大林寺に存するように協力を要請するという趣旨のものにすぎず、原告の改葬手続に支障を来させるような性質のものであるとは認められないから、晩翠を顕彰する目的を有する晩翠顕彰会が、同会の活動の一環として右のような要請をすることは、社会的に許容される活動の範囲を未だ逸脱しているものとは認められない。

したがって、この点に関する原告の主張も理由がない。

(裁判長裁判官北山元章 裁判官三村晶子 裁判官橋本都月)

別紙動産目録

一 額 四点

(一) 天地有情

(二) 荒城の月

(三) 文化功労者

(四) 文化勲章勲記

二 写真額 六点

(一) 晩翠 三点

(二) 八枝 一点

(三) 英一 二点

三 屏風 一点

晩翠観音画

四 野口元二高校長画 一点

油絵「若き日の晩翠」

五 胸像 一点

六 デスマスク 一点

七 経机 一点

八 机 三点

九 ベッド 一点

以上一九点

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